うめぞーの山登りブログ

山登り大好きオヤジの回顧録です。

山と健康 (リスクとルール)

ドモヽ(*´ω`*))((*´ω`*)ノドモ
ご無沙汰しております、うめぞーです。

今回は前回に引き続き遭難を防止するためのテーマでお話をしていきたいと考えます。
とはいえあまり堅苦しいのも嫌なので気軽に読んでいただけるようまとめてみようと思います。

まず、皆さんにお聞きしたいことがあります。
皆さんはなぜゆえに山に登るのでしょうか?
もちろん楽しいでしょうし気分も爽快でしょう。でも最初のきっかけは?
知り合いに連れて行ってもらったという方が大半なのでしょうがこの頃は少し違うと思うんです。
メディアが発達して山に関する情報が街中に溢れるようになりました。
旅行会社のパンフレットにも山に関する特集や旅行が組み込まれインターネットを検索すれば必要な情報が溢れるように流れ出し、書籍は色々なものが出版され今まで行ったことが無い山でもあたかも目の前にあるように映ります。
でもね、ルールとかリスクはそれこそ保険の約款のように隅っこの方にちょこちょこっと記載されているのみです。
当たり前ですよね?私のように「ここが危険だ、この道は迷いやすい。」などといちいちガイドブックに記載したら売れる物も売れなくなりますよね?
なので出来るだけ楽しい情報を載せて危険度や難易度は☆マークで表すのみになっているのが普通です。
だからお友達や近しい人に山登りをする方がいない方にとってネット情報や書籍情報が唯一の情報源となるんですね。
だからなのかも知れませんがルール無用の中高年が増えてきたような気がします。
じゃあルールってなんでしょう?
もちろん山を傷つけず汚さずにマナーを守りましょうと私は常日頃からお願いしていますがここで言いたいルールとは少し違います。
簡単に言うと登山とほかのスポーツの決定的な違いは・・・・ジャッジする人がいないということです。
野球ならストライクやボールの判断やホームランか否かは全て審判が見ています。
ボクシングなら相手がグロッキーならレフリーが試合を止める権限があります。
早い話が他の遊び(素人がやるので敢えて遊びとします。)は審判がいるのに山登りという遊びには審判がいないということです。
ほかの遊びは危険な行為をするとイエローカードや退場処分となるのに山登りは一切ありません。
言い換えれば山登りのルールは全て自分が自分を律するしか方法が無く、逆にルールを守らなくても誰からもイエローカードや退場処分を喰らいません。
ルールを無視しようが一切のお咎めがない代わりにすべてのツケは自分にブーメランのように返ってきます。
そこには当然ながらリスクがあります。
なので我々はリスクを減らすためにルールを守っているのです。
例えば3000m級の山々で落石をあなた自身が起こしたら・・・・考えるだけでも身の毛がよだちますよね?
だから慎重に登って石などが少しでも落ちたら大声で「らーくー」とか「らっく」と言って注意喚起するんですよね?
ところがみなさんも見たことがあると思いますが登山道が渋滞していると無言で登山道以外の道を駆け下りたりしている人がいますよね?
気持ちはわからないでもありません、今は全くの初心者でもシレっと3000m級の山にくる時代です。
もちろん軽装であろうとも足が遅かろうとも怒ったり指導してくれる山男がいなくなったのでやりたい放題です。
でもね、ここでルールを無視するからリスクが発生するんですね。
ガレ場などはペンキマークでルートが決まっていますが無視して進むとその先に待っているのは危険でしかありません。
大体が山小屋の小屋番さんなどが一番安全なルートを選定してペンキマークを付けてくださっているんです。
それを無視するというのはその山域を隅から隅まで熟知している人以外無理なことぐらい素人でもわかるはずです。
でも今はコミュニケーション不足な時代なので前を歩いている人に「道を譲ってください。」こんな簡単なお願いすらできない人が増えてきているんです。
なので道迷いや滑落が後を絶たないのです。
イメージ 1
(これは乗鞍岳への登山道ですが初心者でも来ることが出来るので事故が多い場所です。)

上の写真は乗鞍岳の登山道ですが初心者が登山道で休憩するため業を煮やした登山者がロープの向こう側から駆け下りてきました。
まあ、私は黙っていない性格なので大声で叱り飛ばしましたが岩や石を落として下の人が怪我をするという意識がなかったのか?そこまで思いを馳せることができなかったのか?悲しい出来事でした。

皆さんは間違っていないでしょうか?勘違いしていないでしょうか?
山ってなにもリスクや危険などないのです、そこに人間が入り込んで自らリスクを冒しているだけなんです。
今は山とはいえすっかり観光地化されてしまいアクセスが容易になってグッズも機能的になりました。
でもそれってご自身が山を登って無事に降りてこれることとなにも関係がありませんよね?
登山用具が良くなったからイコールご自身の力量なのでしょうか?
皆さんは情報や道具で安全な登山が約束されたものと勝手に思い込んでいるだけなのです。
例えば山には警告看板がたくさんあります、例えばクマ情報「2018・5・26このあたりでクマを見かけた方がいますので注意してください。」まあざっくりとこんな感じで看板があります。
滑落注意もそうです、ところが皆さんは「へ~クマ出るんや?」とか「滑落しやすい場所みたいやね。」とか人ごとになっていませんか?
わかりやすく言うと地震、大きな震災に遭われた方は敏感になって気をつけるでしょうがほかの地域の方にとっては対岸の火事でしかないのでしょう。
イメージ 2
(クマ情報です、私もゴリラーマンも熊鈴は当たり前ですが獣臭にも注意します。)

我々(ゴリラーマンと一緒の時)はクマ情報があれば熊鈴はもちろんですが獣臭に気を付け土の道なら足跡がないか?周辺の木々に爪痕が無いか?などできる限りの情報を集めながら慎重に進んでいます。

今は時代が進んで山の情報はそれこそ携帯などであっという間に検索できます。
それこそYAMAPなどのアプリを使えば無料で山岳地図が手に入る時代です。
我々が山に登りだした時分(30年ほど前)はそれこそ勉強したくても何もなく素人が山にはいるんじゃねえと山男に怒られ装備も何がいいのか?さっぱりわからない中で少しずつ知識と経験をつけていきました。
おじいちゃんみたいに今更こんなことを言ってもピンと来ないでしょうが一番の違いは覚悟です。
今のように情報が発達していないので未知の山域に入るということは覚悟が必要でした。
当然ながら予想外、想定外の出来事に直面したら体を張って切り抜けるしか道はなかったのです。
従い自ずからそこには覚悟が生まれます。
覚悟とは言い換えれば全てを受け入れるということです。
遭難するかもしれない、滑落するかもしれないというリスクを受け入れることで初めてルールが見えてきます。
道標が見当たらない=間違えたのか?元々道標が少ない山域なのか?そこで地図を見て確認します。
これがルールなんです。
言い換えればルールを守らないから遭難するのです。
滑落もそうです、滑落するかもしれないという覚悟を持っていればしないための歩き方が自ずと備わります。
自分に足りないものはなんだろう?体力?脚力?注意力?装備は充実している?
考えることはいっぱいあります。
それがルールなんです。
子供の頃、鬼ごっこや缶けりやドッジボールなどで必ずルールがあったでしょう?
もし守らなかったら・・・仲間はずれにされますよね?
山で遊ぶということもそうなんです、ルールを守るからこそ無事に行って帰って来れるんです。

最後に私の最新の遭難情報をお届けします。
とはいえ実際には遭難していないのですが実に久しぶりに遭難を覚悟しました。
行った山域は犬鳴山、実際は犬鳴山という山はないのですがこのあたりの山域を総称してそう呼びます。
で、行きたかったのは天狗岳、ここは天狗魔王尊のお像があるそうでガイドブックで見た私はもうお会いしたくて仕方が無かったので行ってきました。
ルートは五本松まで上がってそこから車道を下って行きます。
なんとか見つけた登山口から入ると修行の山なので一切の道標がありません。
天狗岳に行くためにはまずは大天井ヶ岳に行く必要があるのですが・・・道がわからない。
仕方がないのであっちこっち探りましたが明快にここだという決定的なものがありません。
少し開けた場所でガイドブックの地図を見ますが要領を得ませんので潔く諦めました。
私は過去の経験から無理に行動するとロクなことが無かったので一旦止めると決めたら基本ぶれません。
イメージ 3
(ここで地図を開けて見ていましたがこの先に道が無かったので諦めようとしていました。)

上の写真を見てもらえばわかると思いますが一切の情報がなく、続いているように見える道も30mほど進めばいきなりなくなりました。
なので引き返すことに決めたのですが・・・・ものの30mほど引き返したところで心がすごくざわつきます。
来た道を引き返せという私の意思を遮るようにもう一度戻って来いという心の中の声がします。
こういう時は納得するまで(私の心が)行動するほうが今まで良い結果をもたらしてきたので制限時間を決めて行動することにしました。(ちゃんと下山できる時間を確保するのがルールです。)
私がここについたのが午後1時半くらいだったので2時半まで行動し、ダメなら来た道を全て引き返すというプランを立てて慎重に進むことにしたのですが・・・・前方に先程まで気がつかなかった大きなピンクのテープが見えます。
あれぇ?あんなところにテープがあったけかな?いやいやあったら見落とすわけがないよな?と思いながら近づくと私の愛用しているピンク色のタオルが若木(高さが80cmくらいのなよなよした木)にテープのように引っかかていました。
いやいや、ありえないんですよ。私は休憩や地図を確認した際は必ずゴミを落としていないか?忘れ物は無いか?と確認する癖が身についていますしタオルは落とさないよう胸のベルトに通しているので木に引っかかって落ちるというのは考えにくいですし万が一、落としたとしても地べたに落ちているでしょう。
ましてや結構汗を吸って重くなったタオルがあんな若木に引っかかるとは思えません。
それにどう見ても誰かが拾ったタオルを木に引っ掛けたようになっていたんです。
ものすごく不思議でしたが忘れ物に敏感な私が無意識にタオルが気になってここまできたのかな?
と思って引き返そうとするとまたもや心がモヤモヤします。
周囲を見渡すととてもわかりにくい場所に赤テープが見えました。
おそらくここにタオルが引っかかっていなければ気がつかなかったでしょう。
不思議に思いながらそちらへ進むとすごい急斜面を下りていく道がありました。
当然ですがここでも躊躇しますが(赤テープも見えなかったので)なぜかここでも心が行けと命じます。
ここで私は遭難の覚悟を決めます。
所詮は自己責任で自分の判断でしかないので今まで来た道を写真に撮りまくりビバーク覚悟で進むことに決めたのですが・・・一旦腹をくくるとそれを待っていたかのようにどんどん道が明確になっていき無事に目的地までたどり着くことが出来ました。
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(こんななにもない道を下っていくのは勇気と覚悟が要ります。)
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(不思議な導きがありましたが大天井ヶ岳に着きました。でもコンパスで方向を確認することは怠りません。)
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(そしてお会いしたかった天狗魔王尊にお会いすることができました。)

天狗魔王尊にお会いできたときは思わずその場で伏し拝みました。
自分に出来ることは最大限にしてきましたが(地図とコンパスで絶えず確認しました。)ここまで無事に来ることができたのはタオルを木に引っ掛けてヒントをくださったからにほかはなく自分の力だけでは到底たどり着けず諦めて元来た道を戻っていたはずなんです。
遭難というのはルールを守ってする遭難と無謀な遭難に分かれると思います。
無謀な遭難なら命に関わりますがルールを守った遭難なら大事にはいたらないでしょう。
しかしそこには覚悟が必要です。
ルールを守り、覚悟を決めれば大概のことに対応できます。
だから装備を色々持っていくのも私の中でのルールです。
みなさんもご自身のルールを決めて山登りに取り組んでください。
そこには大人として人間としての覚悟も必要です。(マナーを守るのもルールと覚悟です。)
みなさんもどうかリスクを少なく山を楽しんでください。
でわでは~~( ´・ω・`)ノ~バイバイ