うめぞーの山登りブログ

山登り大好きオヤジの回顧録です。

山と健康(山と妖怪と水木先生)

ドモヽ(*´ω`*))((*´ω`*)ノドモ
ご無沙汰しています。うめぞーです。

今日は休みなのですが気温が低いのと雪のせいでお留守番です。
で、なにげにテレビを見ていたら野村監督が泣いておられたのでもらい泣きです。
ついこの前に沙知代夫人を亡くされてまだ心の整理がついていない中でインタビューを受けておられたのですが海老蔵さんといい、野村監督といい、芸能人というだけで心をえぐられるようなインタビューはいかがなものか?
かわいそうで仕方がありませんでした。
その中で噛み締めるように監督が「最高の女房でした。」と仰ってたのが印象的でした。
沙知代さんは歯に衣きせぬ発言から誤解を招いたりバッシングを受けたりしておられましたが監督はいつでも受け入れておられました。
傍目から見るとひどい奥さんに見えても本人が幸せならやはりいい奥さんなんです。
スーっと目から涙をこぼしながらそれでも物静かに語られる監督に心を揺さぶられていました。
沙知代さんのご冥福を祈るとともにどうか監督が悲しみを乗り越えて野球界にたくさんの時間を費やしていただけるよう祈りながら今回のお話をスタートします。

私も少しずつ歳を重ねてきてだんだん周りの諸先輩方や心の師と仰いだ方がお亡くなりになり、なんとも寂しい限りですがそんな中でも特に子供の頃から尊敬していた方に水木しげる大先生がいらっしゃいます。
実は先生がご存命の頃に家族旅行で大山の麓まで行った時に妹や弟夫婦に無理を言って境港まで行ったんです。
水木しげる記念館水木しげるロードを歩いていると先生が帰っておられて喫茶店でお茶をしているとの情報をゲットした私たちは非礼を承知しながらどうしてもお会いしたくて伺いました。
奥様と静かにお茶されているところにお邪魔して非礼をお詫びしてから子供の頃から大ファンで先生の本を全て持っていることを伝えるとにっこり笑われて「ありがとうね」とおっしゃってくださいました。
妹がせっかくだから写真を撮ろうというので遠慮していたら先生自ら席をお立ちになり一緒に写真を撮ってくださいました。
また、その際に握手してくださったのですが今でも暖かく柔らかい大きな手だったことを鮮明に覚えています。
今回のテーマになったのはそんな先生の書物と私の山行が実は結構リンクしているからなんです。
今年の記念すべき一発目の山は奈良県にある龍王山に決定し行ってきました。
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(奥の山が龍王山です。)

ここは山頂が城跡になっており十市遠忠が統治していたのですが松永弾正に攻め落とされて生涯を閉じた場所でもあるのです。
で、実はここには妖怪伝説があり今回訪れたのも水木先生の本を読んでいて存在を知っていたからです。
どのような妖怪かというとホイホイ火(ジャンジャン火とも言う)という妖怪火が出るそうです。
ここの城主である十市遠忠が松永弾正に破れてこの城は落城したのですが負け方が凄惨を極めたそうでその恨みの念が怪火となって現れるそうです。(無血開城したともあるのであくまでも諸説です。)
夏の暑い今にも雨が降り出しそうな夜に城跡に向かい「ほいほ~い」と3回呼びかけるとすごい勢いで「ジャンジャン」と唸りをあげて飛んでくるそうでこの火を見たり触れたりすると祟られるということでこの近辺の人を震え上がらせたそうです。
興味のある方は試してみてください。
思えば私がおばあちゃんから聞いた天狗様の話や私自身見た大きなシーツなど水木先生の本に当てはめればすべて具現化してくれます。
大体は姿かたちがあるわけではなく感じるというか雰囲気的なものが大半なのですが昔の人はそれぞれに名前をつけて特徴を事細かに後世に伝えてきたのです。
それを江戸時代の作家である鳥山石燕が絵に起こし、そこに興味をもたれた水木先生が更にわかりやすく絵にされたのです。(今一番手に入りやすいのは妖鬼化(むじゃら)という全6巻からなる事典)
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熊野古道の大雲取越です。ここはどんな日でも船見峠から先は霧が掛かっています。)

熊野古道の船見峠のあたりは別名「亡者出合」と呼ばれていて自分が会いたいと思う人を強く念じながら歩くと霧の向こうから現れるといいます。
ただしどんなに懐かしかろうが嬉しかろうが決して声をかけてはいけないとされています。
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熊野古道中辺路のなんでもない道なのですが私はここで餓鬼らしいものにとりつかれました。)

熊野古道には餓鬼もいるそうで南方熊楠という粘菌学者が取り憑かれたと日記に残しています。
実際に私も取り憑かれたしその際、山の神様にお願いしたところたちどころに離れていきました。
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(太郎坊山です。太郎坊という大天狗が住まいにしていたところから山名になったそうです。)

天狗様が住まわれているとされる岩や杉はたくさんありますが山自体が天狗様の名前になっている山はそうそうないと思います。
水木先生自体も天狗倒し(山の中で誰もいないのに木が倒れる音がすること)を経験されたことがあるそうです。
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(これは宮島の弥山に行く途中にある富士見岩ですがカメラのフレームに収まりきらないド迫力です。)

これは宮島の富士見岩ですが昔の人が提灯の明かりだけでこの岩がいきなり目の前に現れたら・・・塗り壁ですよね?
で、塗り壁系の対策は落ち着いてどっかり座り込みタバコを吸うそうです。
まあ、落ち着けば岩だとわからなくても左か右側から回避できそうだということぐらいはわかったんでしょうね。
水木先生も戦争時に南方のジャングルで遭遇したことがあるそうです。

妖怪というのはその名のとおりアヤカシなんですね。
要はなにかの気配や普段と違うことや何かに巻き込まれた時に説明ができない場合、妖怪のせいにすることで納得してきたんでしょうね。
ただ、面白いことに東北の方は人を化かすのは狐の仕業でこれが四国になると何でもかんでもたぬきのせいになり、九州ではムジナのせいになることが多いようです。

幽霊は私も見たことがありますが・・・まあ、滅多に見ることはないでしょう。
なぜなら赤の他人に興味が無いように幽霊もいちいち知らない人の前に出るほど暇じゃないでしょう。
我々もたま~に自称霊感が強いという方に出会ったりしますが・・・不思議なのはこの人たちも街ですれ違う人々全てに興味を持っているんでしょうかね?
興味を持っていなければ見えていても覚えてないですよね?
私の感性で幽霊とは身内で生前親しかった人や大切な人は見えると思うし見えて欲しいとも思うんです。
ひとつだけ見える方法があるとすれば・・・肝試しで事故現場や人が死んだ場所に好き好んでいく人がいますがこれは正直人としてどうかと思いますね。
はっきり言って赤の他人の家に土足で上がるバカはいないでしょ?おんなじことですよ。
よく山での怪異を見たり聴いたりします。
私自身ついこの前御嶽山でゴリラーマンと一緒に鈴の音を間近で聞きました。(誰もいないのに)
でもね、薄情なようですが何もできないので正直に何も出来ませんということにしています。
だって、僧侶でも神主でもないので魂の安らぎを与えることなんて出来ませんし相手が何を求めているのかもわかりませんしね。
ただ、見たとしても特別に騒ぐこともしないと思います。

妖怪は子供の頃から会いたいと思っています。
特に天狗様(私にとっては神様ですが水木先生のカテゴリーでは妖怪神になるようです。)には会ってみたいと痛切に願っています。
山の神様は神様ですので恐れ多いですが会えたらお礼を沢山言いたいです。
今回は山での妖怪に特化しましたがお城や寺院にも出るので興味のある方は伝承や伝説でご自身の山域を調べてみるとまた一味違う登山が楽しめますよ。
でわでは~~~