山と健康(役行者(役小角)様
ドモヽ(*´ω`*))((*´ω`*)ノドモ
ご無沙汰しております。うめぞーです。
崇拝と言っても私は以前から申し上げている通り、ほぼほぼ無神論者です。
ただ、山に登るようになって山で出会った不思議なことや守っていただいたことから少なくとも山の神様や天狗様は目には見えないけれどいらっしゃるんじゃないか?と思うようになりました。
最初は意味も分からなかったのですがもともと興味を持つととことん調べる性質なので納得いくまで調べたところすごい方だったんだということがわかり、それから崇拝しているわけなんです。
私が崇拝する理由・・・一言でいえばこの方日本最初のアルピニストと言っても過言ではないからなんです。
もちろん、本人は一生懸命に修行を重ね真理を得るために努力された一環で山があったのだと思います。
ただ、私はこの方の心の奥底には純粋に山が好きだったんじゃないか?という勝手な思い込みがあるのです。
当時はおそらくですが何か目的が無ければ山に登ることはなかったと思われます。
前回でも少し触れましたがそれこそ高貴な方か修行のために登るくらいしかなかったと思います。
猟師さんでさえ山の上には行かなかったといいます。
ここで役行者がどんな人だったのか?簡単に触れておきましょう。
(修験に関係するような山には必ずと言っていいほど役行者が祀られています。)
舒明天皇6年(634年)に大和国葛城上郡茅原郷(茅原村、のち掖上村茅原、現在の奈良県御所市茅原 吉祥草寺境内)に生まれました。父は、出雲から入り婿した大角、母は白専女、生誕の地とされる場所には、吉祥草寺が建立されています。
幼少時の名前は金杵麿(こんじょまろ)といい、これは母が懐妊した時に金剛杵(密教の仏具)が口の中に入っていく夢を見たことからと言われています。
(まあ、大抵こういう夢は後世の後付けなんでしょうけど英雄や高貴な人には多いですね。)
幼いころから仏像などを作って遊ぶような子供だったようです。
17歳の時に元興寺で孔雀明王の呪法を学んだ後、葛城山(葛木山。現在の金剛山・大和葛城山)で山岳修行を行い、熊野や大峰(大峯)の山々で修行を重ね、吉野の金峯山で金剛蔵王大権現を感得し、修験道の基礎を築いたそうです。
役行者は六甲山系にも深くかかわっておられます。
兵庫県西宮市甲山、六甲山系目神山で弁財天を感得したことと関連して、役行者は奈良の天河の洞川(どろかわ)に住む近縁者、四鬼氏に命じて、唐櫃に移住させ、吉祥院多聞寺奥の院とされる心経岩、六甲比命神社、雲が岩一帯を守護させたそうです。(私の心経岩、雲ヶ岩に場所は詳しく載っています。)
(以後、四鬼氏は六甲修験の総元締めとして、六甲山西部を管理していたそうです。)
20代の頃、藤原鎌足の病気を治癒したという伝説があるなど、呪術に優れ、神仏調和を唱えたそうです。
2年後の大宝元年(701年)1月に大赦があり、茅原に帰るが、同年6月7日に箕面の天上ヶ岳にて入寂したと伝わっています。享年68・・・すごくないですか?この時代で68歳まで生きるなんて・・・今でいえば120歳くらいの感覚ですよ。
ざっくりですができるだけ伝説を取り入れずに実在の人物として紹介しました。
でも、やっぱり伝説も好きなのでこちらも少し紹介しますね。
役行者は、鬼神を使役できるほどの法力を持っていたといわれています。
よく、見かけるのは左右に前鬼と後鬼を従えたお像や絵画が有名ですよね。
修行のため、葛木山と金峯山の間に石橋を架けようと思い立ち、諸国の神々を動員してこれを実現しようとしたんですが葛木山にいる神一言主は、自らの醜悪な姿を気にして夜間しか働かなかったそうです。
(すごくお母さん思いの人だったそうです。洞川温泉に母公堂があります。)
でもって架け橋計画は頓挫となり現在上の写真のように一部だけが残っているというわけです。
(よくできたお話ですよね。実際に橋のようなものが現存しているところがいいですね。)
ここで役行者が37歳から45歳にかけて登ったとされる山々を紹介しましょう。
出羽三山・鳥海山・赤城山・筑波山・神奈川の大山・新潟の弥彦山・三大霊山(富士山・立山・白山)白根山・駒ヶ岳・御嶽山・浅間山・天城山・伊吹山・石鎚山・伯耆大山・英彦山・霧島山・・・どうですか?すごくないですか?
これって拠点というか始点はすべて吉野(奈良県)からなんですよ。
もちろん一旦ふもとまで下りていたらとてもじゃないですがこんな短時間で回れないでしょうから修験者独特のルートがあったんでしょうが・・・それにしてもかなりの健脚です。
生前の行いから平安時代に行者という尊称を贈られ、千百年忌にあたる1799年(寛政十一)には光格天皇より「神変大菩薩」という尊号を賜ります。(人智では測ることのできない神のような不思議な力を持つという意味)
私は役行者の遺訓の中で特に好きなのが「身の苦によって心乱さざれば証果おのずから至る」どういう意味かと申しますと体にどれだけの苦痛を感じても心を乱すことが無ければ悟りを得ることができるのだということです。
これって山登りそのものだと思いませんか?(まあ、悟りは得たことないですけどね(苦笑))
ちなみに役行者が亡き後、そのお弟子さんたちが山岳信仰の流れを今日まで大切に伝え、修験道が現存しているわけですがすごいのは一般人が山に入るはるか以前にほとんどの山を修験者(名もなき人々)が登頂に成功していることなんです。
ということはすでに修験者が山頂を極めたという証拠に他ならないわけです。
役行者に負けず劣らず山が好きなんでしょうね~(修行なのに罰当たりかな~)
前鬼・後鬼は夫婦と言われています。
そのご子孫も現在いらっしゃって釈迦が岳の小中坊あたりに地名も残っています。
(珍しいでしょ?)
(私は勝手にこちらが後鬼だと思っています。すごく女性的に見えるんです。間違っていたらごめんなさい。)
いかがでしたか?本当はもっと細かくお伝えしたいんですが恐ろしく長くなりそうで・・・読んでいただけないと困りますのでできるだけ短くしました。
私の勝手な想像ですが役行者はもちろん偉大な方ですが心の奥底では山が大好きな人だったらいいな~と思っています。
なので口では「修行じゃ~」と言いながら次はあの山に登ろうか~などと登山計画を心の中で温めているような人ならいいな~と思うわけです。
もちろん、今と違い当時の登山はそれこそ命がけだったと思います。
でもそんな中に純粋に山が好きな人がいたっていいと思うんですよね。
ただ、時代が許さないから修行という名目で登っていたとしてもいいと思うんです。
もちろん、役行者はそんな人ではないでしょう。
でも、人間臭さがあるとより魅力的に感じるのは私だけでしょうか?
尊敬を込めて心から敬えばいいことあるかもです。
でわでは~~