うめぞーの山登りブログ

山登り大好きオヤジの回顧録です。

山と健康(不思議なこと)

ドモヽ(*´ω`*))((*´ω`*)ノドモ
ご無沙汰しています。うめぞーです。
本日は全国的に大荒れの天気でせっかく予定していた山行も中止になりました。
久しぶりにいつもの友人と行けるチャンスだったのですが残念です。
まあ、来週の日曜に行こうということになったので来週は晴れて欲しいものです。

さて、今回のタイトル・・・深い意味はないのですがやっぱりこれだけ山へ行っていると色々と不思議なことにであったり見たりします。
そこで今回はそういう事象を皆様に紹介していきたいと思います。
とは言え私は怖いものが好きな割には信じていない方なんです。
大抵は錯覚か見間違い、思い込みと思っているのですが・・・たま~に??なこともあります。
一番最近では先日御破裂山から飛鳥を周遊してきたのですが(詳細はヤマレコの御破裂山・談山、史跡を巡る旅パート2に記載していますので参照してください。)何でもない川をきれいな清流だなあと思いながら眺めていたらそのうちの岩の一つにお坊さんのように見える模様があったんですね。
まあ、このあたりは史跡の多いところですから誰かが彫ったものかな?と見ていたのですがやっぱり自然の紋様がそう見させるのです。
人間の目はおかしなもので擬人化と言いますが見るものを出来るだけ人に近い形で見えるよう脳内変換するらしいですがそれでも不思議です。
写真に収めたので見てください。
イメージ 1
(これではわかりにくいですよね?アップした画像も記載します。)
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(ね、見ようによってはお坊さんが浮かんでるでしょ?実際は肉眼で見たほうがハッキリしています。)

こんな感じのものなら結構山で見かけます。
次の写真は剣尾山に行った時に撮ったものです。
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(岩なのにまるで武蔵坊弁慶みたいでしょ?でもこの岩に特別な名前はありません。)

よく観光地に行くと特に海を遊覧する船なんかに乗るとナレーションで「誰言うとなく獅子岩と呼ばれております。」な~んて言ってますが思わず獅子にはみえね~よと突っ込みたくなり岩もありますよね?

私は若い頃から死後の世界には懐疑的で人間はテレビのスイッチが切れた時のように死ぬと思っていたんです。(昔のテレビはブラウン管なのでスイッチを切るとフェードアウトするようにぷちゅんって切れるんです。)
そんな私の考えを覆したのは私の母がなくなってお通夜の夜でした。
私の幼馴染が東京からわざわざ帰ってきてくれて私を慰めてくれました。
この人は私の母とも小さい時から仲がよく母がよく私よりこの人の方が良かった(子供として)と冗談を言うほど分け隔てなくまるで実子のように可愛がっていたので友人も実の母のように慕っていました。
で、お通夜が終わり友人が帰る段になり家の前で少し立ち話をしていたんです。
また明日の葬式にも来るなどとたわいもない会話をしていたとき友人が素っ頓狂な声で「あれ?おばちゃんや」と言ったんです。
その時、私は家に背を向ける状態で友人は私と対していたので家の方を向きながら喋っていたんですが・・・
「え?」と振り返った私にも家の角から顔だけ出して嬉しそうに笑っている母を確かに見ました。
思わず死んだことを忘れた私は母に向かい「寒いから家の中に入っときいな~」と声をかけて友人に向き直りそこでハッと気がつきました。(11月半ばの寒い夜でした。)
慌ててもう一度見たときにはもういませんでしたが友人は消えるまでの一部始終を見ていたそうで「おばちゃん、嬉しそにニコニコ笑って何度も頷いてからふわって消えた。」と大声で泣き出しました。
私も嬉しいやら悲しいやらで友人と抱き合いながらそれこそ大声で泣きました。
この時から私の考えは変わって今は山の神様に入山前と下山後に感謝とご挨拶を申し上げるようになったのです。
直接の霊体験というものはこれしか経験したことはないのですが笑い話はたくさんあります。
夏の夕方、もう薄暗くなってきた時にガード下を歩いていたらいきなり左前方に人の顔が青白く浮かんだんです。
それこそ「ウワ━(。・ω・)ァァ━・゚・出た~」なんですが気の強い私は何を思ったのかその顔に向かい殴りかかったんです。(人間って本当に恐怖を味わうとその場でしゃがみこむか私のように凶暴化するかどっちかなんでしょうね~)
ちなみにその顔はたまたまそこに居た人(確かガード下でスクーターが調子悪くなって携帯でバイク屋さんに連絡しようとしていたと思います。)が昔のガラケー(折りたたみのヤツ)をパカっと開けた時に出る光が顔を照らしただけなのにいきなりわけのわからんやつが殴りかかってきたのでびっくりしてひたすら謝ってました。
私も人だと判ったのでそこからはもうひたすら謝ってました。(本当にごめんなさい。)
その人いわく「お化けよりアンタが怖い・・・」ごもっともです。

不思議な経験は昨年の熊野古道(中辺路)を歩いた時にダル(ひだる神・餓鬼とも言う)にとりつかれたとしか思えない事柄もありました。
私の大好きな水木しげる大先生の妖怪事典に載っていますが山奥などを旅人が通りがかるといきなりとり憑くそうでこれにとり憑かれるとその場から動けなくなるほどの脱力感に襲われるそうで、かの有名な粘菌学者の南方熊楠さんも熊野山中でこれにとりつかれ一歩も動けなくなったと日記に残しておられます。
私はこの現象を低血糖による機能障害だと思っていました。
昔の食べ物は質素(言い方を変えれば低栄養)なものが多く、登山はハードな運動になるため低血糖に陥ったものだと思っていました。
それが証拠にダルへの対処はなんでもいいから食物を一口でも食べることでした。
なので昔の旅人は弁当を必ず一口は残して旅をしたそうです。
ところがその時の私は行動食をマメに食べて水も飲んでいたのでシャリバテや水バテを起こす状態ではなかったんです。
道も坂道ではありましたが疲れてもおらず普通ならスイスイ上がれるような道にも関わらず峠に着くまでまるで誰かに両足を掴まれたように足取りが重いのです。
小雨が降ってきたので早く樹林帯に入りたいという気持ちとは裏腹に足は重くなかなか思うように動けなかったのに峠についた途端、それまでのことが嘘のようにまたスイスイと歩くことができました。
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(こんな何の変哲もない道でダルに襲われました。)
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(で、この峠についた時に山の神様に山行の無事をもう一度お願いしたところ嘘のようになくなりました。)

思えば山にはそれぞれ山の神様がいらっしゃるのに横着して神様にお願いしなかったのが行けなかったのかな?と思い、峠でもう一度山の神様に山に入らせて頂く感謝と山行の無事をお願いしたところ嘘のように呪縛が解かれました。
皆さんにこれを信じろとか宗教に入れとか言うつもりはありません。(元々最初は私も無信心論者でした。)
ただ、山で不思議なことを経験したら騙されたと思って試してみるのもいいと思います。

意外と思うかもしれませんが登山者の大半(登山客ではない)は若い人も年配の方も関係なく山の神様に入山許可をお願いし、下山した時には感謝をしてから山を離れる方が多いです。

私はよく一人でも山に出かけるので特に山の神様には丁重にお願いと感謝を口にしています。
おかげで先日も山深いところに行きましたが獣に襲われることもなく無事に下山できました。
(大きな鹿の足跡や猪の足跡を何回も見かけたので気が気ではなかったのですが・・・)
まあ、友人に言わせると「お前な~相手も人見て襲うわ~獣はな嗅覚が優れてるねん、お前みたいなやつ襲ったら返り討ちに遭うやろが~そやしお前と山行っても俺は猪はおろか犬すら見たことないわ~」と怒っていましたが・・・トホホすいません。

山もトイレが完備された山は少なく、大抵は野外トイレを使用します。(聞こえはいいけど要は野グOね。)
でも出来るだけ登山前に済ませているんです。皆さんは。
でも、小の方は我慢できない時がありますよね?(もちろん大も我慢はできませんけど)
そんな時、私はすごく申し訳ない気持ちでいっぱいになるんです。
せっかく山に入らせていただいたのに汚すという行為はやるせなくなるんです。
なのでどうしてもという時はいつも平謝りに謝って済ませます。(滅多にないんですけど)

タイトルに不思議なことと書きながら実はそんなにネタはないんです。
幽霊話や怖い話を期待してくださった方には申し訳ないんですけど・・・・
ただ、これは山の神様が絶えず見守ってくださっている結果だと私は思っています。

最後に子供の頃に見た不思議なことを一つ(小学4年生ぐらい)
近所の山で山菜採りをしていたのですがふと山の方を見ると山頂から大きなシーツが風を受け、大きく膨らみながら転げて来るんです。
でも、不思議なのは木の上を転がっているのに木に一切引っかからないんです。
それにシーツといってもどう見ても横20m縦10mほどの巨大な白い布状のものなんです。
おまけに下までくるわけではなく途中ぐらいから上に登っていくんです。
しばらくボケーっと見ていましたが急に怖くなって家に帰っておばあちゃんに報告しました。
おばあちゃんが言うには天狗様が天気がいいから布団を干しておられたんだろうとのことでした。
ちなみにおばあちゃんは嫁いで四国の山奥に住んでいた時期があり、若い頃天狗様に3回ほど会ったそうです。
1回目は山の中で道に迷って途方に暮れていたとき後ろから声が聞こえ(姿はどうしても見ることができなかったそうです。)OOのところに嫁いだOO(おばあちゃんの名前)じゃな?家に帰りたいのか?と聞かれたのでビビリながらそうですというと目をつぶれと言われたそうで言うとおりに目をつぶったら開けよと聞こえたので開けたら家の裏庭に立っていたそうです。
お姑さんに「それは天狗様じゃ、この山には昔から天狗様が住んでござる。」と教えられたおばあちゃんはそれから山に入るときは感謝の言葉とお酒を少々お供えして帰ってくるようになったそうです。
それから何年かして母が生まれた年におじいちゃんと山へ伐採の仕事に行ったとき(林業していたそうです。)
母を寝かしつけて作業していたら母がむずがったので乳でも欲しいのかと思ったそうですが時間も早く仕事も忙しかったので気にはかけながら作業をしていたら母が機嫌よく笑いだしたのでへ?とそちらを見たら母が空中1mぐらいのところで上下していたそうで(この時も母以外は見えなかったそうです。)腰を抜かしたおばあちゃんはおじいちゃんに報告するとおじいちゃんはその場で土下座して「ありがたいことじゃ、天狗様があやしてくださっている。」と伏し拝んだそうでおばあちゃんも慌ててその場で土下座したとのことです。
すると母が静かに下ろされ、一陣の風が吹いたかと思うと「フォ、フォ」と2度ほど高笑いが聞こえたそうです。
3回目は5歳になった母と2歳の妹(叔母さん)生まれたての弟(叔父さん)を連れて山に山菜を取りに行ったとき大きな熊と出くわし襲われそうになったとき、大きな声がしてクマに向かい「儂の客人じゃ、手出しはならぬ。」と言ったそうです。
クマは何事もなかったように山へ帰っていったそうでこのことは母もよく覚えていました。
(実は母も何回か天狗様に助けられたそうです。)
最初は半信半疑で聞いていた私もあのシーツを(シーツ?)見てから天狗様の存在を感じられないか?と思いながら山に登っています。(ひょっとしたら天狗様ではなく山の神様だったのかもしれませんが・・・)

山は不思議です。今までいろんな山に上ってきましたが私は山に愛されているのか晴天率が半端ではなくいいです。
台風が来ているのにも関わらずいつもの友人と山に行った際も我々の山域はどピカンで本当に台風来るの?という感じでしたが他のメンバーが行った別の山域(それほど離れていない)では暴風と大雨で撤退を余儀なくされたぐらいです。

これからも私は山に敬意を払い、山の神様に感謝しながら登ることでしょう。
天狗様に出会えたらいいな、と思いながら登ることでしょう。
みなさんもいろんな思いを馳せながら登ってみてはいかがでしょうか?
しっかし、雨降りはヒマですね。ガイドブックで検討します。(次の山)
ではでわ~~