うめぞーの山登りブログ

山登り大好きオヤジの回顧録です。

山と健康(登山への誘い)

どもども~相変わらずご無沙汰なうめぞーです。
みなさんお元気ですか?山には行っておられますか?
私は次の連休を利用して熊野古道の一つである大雲取に行ってこようと思っています。
ただ、大雲取の出口である小口で宿が取れなかったので小雲取は断念しなければならないのが残念です。
(一か月前に予約を入れたのですがすでにいっぱいでした。なので計画は2ヶ月前くらいから天候無視で始めないといい時期は難しいかもしれないです。)

さて今回はタイトルにもありますように私と登山の出会い及び30年来の悪友との出会いを少し語らせていただきます。
友人との出会いは前回の命の大切さの時に少し語りましたがきっかけは実にシンプルでバイクでした。
私は幼少期からスピード狂のきらいがあり、5歳の時にタクシーの助手席で「もっと早く走ってよ。」とのたまうような子供でした。(もちろん電車は一番前に乗って風景を見ていました。)
従って子供の頃からバイクには特別な思い入れがあり、たま~に放映されるGP500(昔は民放でバイクレースが放映されていました。)を食い入るように見ているような子供でした。
そんな感じですからバイクに乗れるようになると最初にしたことはレースへの参加でした。
この頃は鈴鹿サーキットが若手の登竜門としてよく知られており、たまたま私の先輩が車のレース(といってもカートを大きくしたようなフォーミュラの最下層で軽自動車のエンジンを改造して搭載した車なので結構な迫力とスピードがあります。)をしていたので二人で協力して会社の車に先輩のレースがあるときは私がサポート、私のレースのときは先輩がサポートという形でマシンを積み込み鈴鹿に通っていました。
結構二人共いい成績で将来を有望されていたのですが私はある日大きな事故をきっかけにレースを断念することになり結局先輩の会社(高校時分にアルバイトしていた。)を退職し友人がいる会社に卒業と同時に就職したわけです。
この時の事故は前回少しだけ触れた体がバラバラになるほどの大きな事故だったのですがそれは次回のお話とさせていただきます。
親からレースはやめてほしいと懇願されて渋々レースからは身を引いたのですがバイクだけはどうしてもやめることができなかった私はその時はやっていた2サイクルの中でも特に早かったRZ350というバイクをさらにカスタマイズして乗っていました。
結構晴れた日は会社に頻繁に乗って行っていたため友人の目に止まることになったのですが・・・・・・
友人「これ、君の?」私は一応隣の会社の先輩なのと年上なので敬語で「はい、そうです。」ちなみに友人の会社と私の会社は経営者が兄弟なので同族系列でした。
友人「ふ~ん、結構いじってるんやねえ~バイク好きなんや?」私「はい、一応趣味なんです。」
友人「今度の休みって忙しい?空いてたら丹後半島までツーリングに行かへんか?」と誘ってきました。
この時友人はVF750という大型バイクに乗っていたのですが正直私はレースをしていたという自負もあったので相手にならないと思ったのですがこういう手合いは一度一緒に行ってギャフンと言わせないと何回も誘ってくるなと思ったので承諾しました。(結構嫌な奴です。私って)
で、当日私と友人と友人の職場仲間の3人で行ったのですが私の予想以上に遅くて丹後半島の伊根の手前にある喫茶店についたのが夕方4時くらいでした。
私の中ではこの時間には家に帰っているくらいでしたから当然親には「晩飯までには帰るわ~」といいおいて出ています。(この頃はね、まだ携帯電話なんてなかった時代なのよね。おまけにうちの家なんて黒電話すらオヤジが嫌いで置いてなかったから連絡するの大変なんです。一番近い近所の家に電話して親を呼び出してもらうんですよ。これがどんなに恥ずかしくて嫌なものかはやったことがある方にしかわかってもらえないでしょう。)
なんで私の中では悪魔がささやきます。(こんな遅い奴、もうこの辺で巻いて帰ろうや~早よ帰らんとお母ちゃんらが心配してまたバイクのせいにされるで~そや、丹後半島に入ったら信号もないしワインディングな道やしついてこれへんやろ?そこで知らんふりして帰って明日謝っとけばもう二度と誘わんやろ?)ホント、私って嫌な奴でしたね。
で、計画はすぐさま実行にうつされたのですがなっなんとびっくりしたのはレースで鍛えた私の後ろをビッタリ付いてくるバイクが・・・・そうです、実は友人はめっちゃバイクが好きで乗るのもハンパない人だったんです。
実は遅かったのは友人の同僚でこの人はめちゃくちゃいろんな意味で残念な人だったんですがそれでも友人は心が広いオトコだったので結構誘いも断らず一緒に行っていただけなんです。
これは男の人にしかわかりにくい感情なのかもしれませんが例えば常日頃からお互いに嫌な奴と思っていた人物がある日大喧嘩(殴り合いとか)した後に急速に仲が良くなることってありますよね?
単純に表面上とかしか見ていなくて内面を知った時に起こるのかもしれませんが私も友人もお互いを誤解していたみたいで実は友人も私のことを誤解していたみたいで(ちょっとレースかじったぐらいでイチビってるんやったらギャフンと言わしたろ~)ぐらいに思って私を誘ったみたいです。
山の中で休憩しながらそんなふうなことをお互いに語り、お互いの誤解を素直に謝りあった私たちはそれから急速に仲良くなります。(ちなみにその日は結局友人の同僚に合わしたため帰宅したのは21時頃でした。トホホ)
それから少しして友人が結婚をし、私も家内と付き合っていたことから家族ぐるみの付き合いとなり現在に至るわけですが実は友人は私より8歳も年上なため二人きりな時は別として奥さんや会社の人の前では敬語で喋っていたんですがこれが結構きつくて私の中では心の隔たりがあるようで嫌だったんです。
なので怒られるのを覚悟である日飲みに行った際、友人に「すまんけどな~俺はお前のことを本当の友人・・・いや実の兄さんのように思っているので敬語でしゃべるのやめたらあかんかな?」と聞いたんです。
そしたら友人も「なんや~そんなことかいな?そんなん気にせんでも俺かてお前のことは弟やと思てるで。」と言ってくれました。(実はお互い一人っ子で兄弟がいなかったのもあったんですけど。)
嬉しかったですね~それはもう・・・この人に出会えて良かったと心から思った瞬間でした。
それからお互いアウトドアが好きなこともありキャンプに行ったりツーリングに行ったり私が諸事情から今の仕事に就くまではほぼほぼ毎週といっていいほど何かしらイベントを行っていました。

そんな中、山へのきっかけをくれたのもこの友人でした。
私の最初の登山は前回でも少し語りましたが乗鞍岳でしたがここは正直途中からの登山であったので本格的に登りだしたのはこれも前回に書きました上高地⇒涸沢⇒奥穂高⇒前穂高⇒岳沢⇒上高地というコースを一泊二日で踏破するという実に無謀な行程でした。
おまけに当時は今のように山岳関係の書籍もあまりなく登山者の多くは高校や大学の時にワンダーフォーゲル部に所属していたという人が大半で登山ブームとは言え門扉は狭き門だったんです。
我々のような素人が山のことを知るには好日山荘さんのような専門店でそこのスタッフさんに色々と聞くぐらいしか方法はなかったんです。
当然ですがグッズ・ツールの類に対して少なくとも私は一切の知識はありませんでした。
なのでこの初めてといってもいい本格的な登山に対してもわずかな着替えと少しの食料しか持っておらずおまけに服装も上下ジャージで靴も普通の運動靴でした。
友人も私と大して変わらないのですがそれでも今まで結構山には登っていたため靴の重要性はよく理解しておりその当時結構斬新的であったゴアテックス製の靴を履いてました。
私はそんな知識もなかったため雪解け水に足をやられてえらい目に会いました。
また涸沢ヒュッテで靴を乾燥させるためストーブのそばに持っていった際、周りの人が驚いた目で見ていたのも今となっては納得ですし恥ずかしい思い出です。
もちろん紀美子平で死にかけたのもこの時ですしこの登山がきっかけで我々の山に対する認識が大きく変わったのも事実です。
それからはお互いにいろいろ勉強して実績を重ねてきて現在に至ったわけですが普通これだけ最初の登山で辛い思いをしたり人から好奇(ある意味馬鹿にされていたと思う)の目で見られたりすれば普通の人なら心が折れてもう山に行くのを嫌がるのでしょうが私が嫌にならなかったのは嫌なことや苦しいこと以上に感動が大きかったからだと思います。
あれは槍ヶ岳の肩小屋から見た朝日だったのですが雲海から金色の光が伸びてきて槍の穂先に駆け上がっていき穂先でキランと光ったのを友人と見たとき全く意識していなかったのに二人共感動で涙が勝手に溢れていました。
(ちなみにこの時も強行軍で一番きついと言われる飛騨越えからの登山で普通なら二泊三日が最低条件で楽に行きたければ三泊四日の行程を一泊二日で登りました。宿帳に住所を書く際、手が震えて書けなかったのを覚えています。馬鹿ですねえ~)
そんなこんなと友人との珍道中も沢山楽しみましたが当然危険なことも何回もありました。
西穂高に登った際は独標からピークに向かう際に霧が立ち込め丸印を見つけられず逆にバツ印の方向に進んでしまい危険な崖を約30m程進んで行ったこともあります。(一応目的地には行けたのですが・・・)怖い思いをしたこともあります。(帰りもまたあそこを通るのであれば死ぬ覚悟が要るなあと話していたら帰りは霧が晴れて丸印を見つけたのですが全然違う道でびっくりしました。)
ちなみにバツ印は本当に危険なので絶対に近づかないようにしましょう。
我々が通ったところは本当の崖で足場は約15cm程の足場が約30m程水平に伸びており、山肌側の岩や石に捕まりながら進むのですがポロポロと崩れていくのでその度に寿命が縮まりました。
ちなみに足を踏み外せば間違いなく100m以上は滑落するような場所なので死は避けられません。
本当に恥ずかしい話ですが今でこそ皆さんに地図やコンパスの必需性を説いていますがこの時の我々はそんな知識も無ければ危険性も理解していなかったんです。
でもそんな危険な目に何回も会ったことで我々は色々と知識を得てそれと同時に山への畏敬の念を強くしてきたのです。
また友人との友情も大きく育ちお互いを認め高め合うことで今では絶対に欠かすことのできない間柄となれたのです。
だからどこの山へでもこの友人と行きますしこの友人となら生死の境目でも厭いはしません。
これからもお互いが元気な限り、いろんな山に行くでしょう。
そしていつまでも仲良くあ~でもないこ~でもないとたわいのない話をしながら登ることでしょう。

みなさんも出来るだけ心から信頼できる人を見つけてください。
きっとそれからの人生は素敵なものになるはずです。
人間は弱い生き物です。
だからいざとなった時に裏切ったり裏切られたりもします。
でも自分が落ち込んでいたり周りから人が離れていった時でも必ず手を差し伸べてくれる人が出てきます。
自分が気づいていないだけで本当にあなたのことを心配している人が本当の友人であり恋人なのです。
人は上辺だけで生きているといっても過言ではありません。
だからちょっとしたことで友人と疎遠になったり恋人と別れたりしてしまうのです。
自分を責めるのもいいでしょう。相手を非難するのもまたアリです。
でもちょっと待ってください。胸に手を当てて落ち着いて考えてみてください。
その人とは本当に心からの付き合いはできていたのでしょうか?
自分の一方通行の思いは時にストーカーと豹変します。
また相手のことは本当に理解できているのでしょうか?喧嘩はしたことありますか?そしてそれを許したことは?
よく友人の数が多いことを自慢する人を見かけますが正直??とは思いませんか?
本当に心からお互いを理解することが出来る人は少ないと思います。
なのでそんな人に出会えた方は幸せだと思います。
お金では決して買うことのできないあなたにとって最高の宝物です。

私の友人は私に山の素晴らしさを教えてくれた大切な人です。
これからも時間と体力の許す限り、いろんな山にチャレンジしていきます。
皆様もそんな人生のパートナーと巡り合われることをそして巡り合われている方は素敵な山行を楽しまれることを祈念して今日は締めくくりたいと思います。
でわでは~~(山は良いよね。)